「スポチャン」の愛称で親しまれているスポーツチャンバラは、現 社団法人国際スポーツチャンバラ協会 及び
社団法人日本スポーツチャンバラ協会会長である田邊哲人が1971年に「使術はすべからく護身から発達する」というテーマで、小冊子を刊行したときに発祥した。
それから門人を育成し、2年後の1973年に「全日本護身道連盟」が発足。その後、発展的に「国際スポーツチャンバラ協会」と改称された。
競技会や大会、講習会等、啓蒙活動を展開し、現在では日本国内で愛好者が30万人を超え、海外では34ヶ国、約2万人、指導資格者(インストラクター)は国内外合わせ 4,500名が活動をしている(平成17年11月現在)。
スポーツチャンバラ創始者の田邊哲人は弊社㈱KSPの創業者田邊龍美の実弟であり、現在は取締役副会長を務めています。
今から数十年前のひと昔、㈱KSPの前身である国際警備株式会社の本社は横浜の桜木町のみなとみらいから3分くらいの所にありました。
その本社ビルの3Fの国際警備㈱研修所に国際誠心館道場という看板が掲げられていました。
当時常務取締役・警務本部長の要職にあった田邊副会長は、日中のガードマン教育で木製警棒を用いた護身術訓練や夕刻の一般道場生達と極めて精力的に汗を流されていたことを鮮明に覚えています。
当時を知る我々社員は「チャンバラ=小太刀護身道」と認識していましたし、戸山流の居合道場もあって、田邊龍美会長が真剣で太い試し切り青竹の巻き藁をスパスパ切ってましたね。
当時のガードマン教育訓練の中で、実技の基調としたものが刃物に対する「対刃物護身」という事でした。素手の争い事は、おおむね喧嘩ごときの類でさしたる大事ではありませんが、相手が刃物を持ったとなれば、いかに屈強な人と言へども尋常ごとではありません。人間は、ことの外"ハガネ"には弱いのです。いかに柔道や相撲、空手で鍛えても、いかに筋肉隆々な肉体を作っても"鋼"にかかったらひとたまりもないのです。 即ち、柳刃包丁如き突き刺すように出来ている刃物は、腹を一突きされれば背中まで貫通してしまうかもしれません。その刃物にどう対応していいかという事に自分自身も興味がありました。また、刃物に対して怖じけ付かないよう、そして身を護るための護身術の技を発達させなければならないと思っていました。それが「護身道」の始まりです。
今では子供から大人まで国籍・男女問わず世界的なスポーツになった「スポーツチャンバラ」の原点は、何を隠そう静岡市の清水区由比にあります。
田邊龍美会長や哲人副会長のご実家が静岡県静岡市清水区由比にあり、幼少期の哲人先生は当時はゲームも遊戯施設もないので、近所の阿蘇宇神社で幼馴染を集めてチャンバラごっこをしていたそうで、それが原点となり㈱KSPの警備員教育や現在の「スポチャン」に発展していったとのこと。
㈱KSP静岡支社は阿蘇宇神社の所在する同じ静岡市にあります。
この地で発祥し、警備保障KSPの警備員研修所から今や世界的スポーツになった「スポーツチャンバラ」を私たちは誇りに思い、広くお客様にも知って頂きたく存じます。
(お問い合わせ先) ㈱KSP静岡支社 警務課 田中、佐藤(担当) (054-270-6561)